“100年に一度”の危機を生き残れるか? 「新聞・テレビ複合不況」の内幕を露に! 優勝劣敗がはっきりすれば、勝ち組が負け組を救うという形でメディア再編が起こり得ると思います。救う側の浮力で、救われる側も水面に上昇でき得るでしょう。しかし、負け組同士がしがみつけば、互いに深く沈没してしまうことは必定です。 たった1年で環境が激変した背景には、多くの原因があります。活字・テレビ離れ、景気の悪化と広告収入の減少、インターネット・携帯電話の普及・・・。 しかし、こうした外部環境よりも、ひょっとしたら「経営の不在」という内的要因のほうが大きく影響しているかもしれません。各社はこの危機に抜本的な改革ができず、むしろ、読者や視聴者の信用を失うような一時的で安易な解決策に走ろうとしています。そしてそのしわ寄せは、制作プロダクションや新聞販売店といった弱者にもきています。 新聞やテレビ業界の方々には、不思議な習性があります。匿名で非公式に取材をすると、自社のネガティブな情報ですら、惜しみなく伝えてくれます。そうすることで自社の改革を外から促そうと考えてくれているようです。 某メディアグループのトップも、匿名を条件に今回の取材に応じてくれました。(しかし、同時に公式に取材を申し込むと、官僚以上に官僚的な対応により“拒否か書面による回答”というケースが多いのも事実ではありますが)その結果、今回の特集でも、独自情報を満載することができたと思います。 米国金融危機に端を発する世界的な不況は“100年に一度”と言われていますが、日本のメディア業界にとって、今年と来年は他の産業と比べてもかなり大きなターニングポイントになるのではないか。取材を終えて、そう実感しています。 実際に新聞やテレビに関わる方々のみならず、それを読んだり視聴したりする資産運用 、さらにメディア企業へ就職活動中の大学生など、多くの方々にぜひ手にとってもらえればと思います。
時代遅れの日本の新聞、金融危機が起きた日も全紙そろって休刊日 「リーマン・ブラザーズ破綻の翌日が日本の新聞休刊日だったため、そのニュースを新聞で読むことはできなかった」と、前々回で述べた。 このとき、全米3位の証券会社であるipo は、急遽バンク・オブ・アメリカに身売りした。また、アメリカ最大の保険会社個人向け国債 が実質的に政府の管理下に入った。アメリカの金融業界は、わずか数日間で姿を一変させてしまったのである。日本の新聞は、この重大ニュースを必要なタイミングでは報道できなかったわけだ。 休刊日以外の日にも、新聞ではニュースが間に合わないという事態が続いた。たとえば、9月30日に米連邦議会が金融安定化法案を否決したときには、翌日の朝刊はそのニュースを掲載することができなかった。 株価も為替レートも、めまぐるしく揺れ動く情勢に振り回されて、ジェットコースター並みのスピードで乱高下している。金融に直接関係しない人でも、新聞だけでは仕事に必要な情報を時間遅れなく得ることができないと実感するようになった。 今回の金融危機はさまざまな点で新しい経験であったが、従来のメディアがスピードの点で対応できないことが暴露された点でも、大きな事件だった。今のマスメディアは、社会のスピードがもっと遅い時代に確立されたものであり、もはや時代遅れになっていることが、誰の目にもはっきりとわかった。 「従来のメディアの体制では時間遅れになる」とは、実は私自身も感じたことである。このウェブ連載は4日程度の時間遅れで掲載されるが、紙の雑誌の場合には、週刊誌でも時間遅れが2週間を超えることがある。 『週刊ダイヤモンド』の連載「超整理日記」では、リーマン・ブラザーズ破綻が生じたときには、その1週間後に掲載される原稿は、すでに1週間前に送ってあったものであり、「いかにもずれている」と思わざるを得なかった。そこで急遽、原稿の差し替えを編集部にお願いした。さらに、その差し替え原稿で「アメリカ政府が将来の納税者負担を考えずに救済策を決めた」と書いたところ、直後に下院が金融安定化法案を否決してしまった。しかし、この部分の修正は間に合わなかった。 これまでは、株 までの時間遅れをあまり気にすることはなかった。遅いと感じたのは、1995年に「超整理日記」の連載を始めてから、初めてのことである。この1年の間に、社会のさまざまな制度のスピードの違いが、明白に意識されるようになった。 しばらく前に、「インターネットの世界はドッグイヤー」と言われたことがあった。そのことが、インターネット業界だけでなく、社会全体について言えるようになったのだ。社会の変化のスピードは、明らかに加速している。情報通信技術が信じられないほどの進歩をしているのだから、社会の仕組みが変わらないほうがおかしいのだ。なかでも、マスメディアの形態が変わらないとすれば、まったくおかしなことだ。
紙メディアとウェブは 強力な連携体制を作りうる ところで、「新聞が配達される前にニュースを知っているから新聞を読まないか」といえば、けっしてそんなことはない。リーマン破綻の際も、金融安定化法案否決のときも、新聞は読んだ。むしろ、普段より念入りに、くまなく読んだというべきだろう。つまり、紙の新聞の存在意義は明らかに存在するのだ。 この場合はニュースの背景や解説を読みたかったからだが、そうでない場合にも、「新聞で読みたい」と思うことは多い。それは、これまでも感じていたことだ。たとえば、異常に暑かった真夏の日、その日の夕刊に「今日は異常に暑かった」という記事が載っていないと、なんとなく不満な気がする。暑かったこと自体は先刻承知なのだから、この記事に求めているものは、ニュースではない。ある種の連帯感を共有したいのである。前回用いた言葉を使えば、「公共圏」が明らかに存在しているのである。 そして、この類の「公共感」は、紙の新聞でなければ得られないような気がする。テレビのニュースでも駄目だし、ウェブでも駄目だ。もしかするとこれは単なる惰性なのかもしれないが、それだけではない何物かがあるように思う。 このことを逆に言えば、ウェブと紙が連携すれば、新しい可能性が開けることを意味する。 速報性という点で、紙の新聞はテレビにかなわなかったが、ウェブを使えば、テレビより早くニュースを送れる(テレビでは、ニュースの時間まで待っていなければならない)。そして背景や解説などを紙の新聞で書くことで、速報を補完できる。 技術的な観点から見ても、新聞・雑誌を中心とする紙媒体とネットとの親和性は高い。相互に補完し、補強しあえる。テレビと新聞、テレビとネットとの連携は考えにくいが、紙媒体とネットとの連帯はありうるのだ。 テレビは、内容のあまりの低俗さのために、視聴者が離れつつある。これまでも、仕事に必要な情報をテレビから得ようと考えていた人はいなかったと思うが、全般的なテレビ離れが生じつつあるのではないだろうか。テレビの広告費が減少し始めているのは、注目すべき現象だ。人々がテレビ離れを起こしつつあるいまこそ、紙の媒体が、ウェブと連携した新しい形態の情報提供を始めるべきだろう。 そのような連携体制から最も強力なメディアが誕生することになるはずなのに、なぜこの方向を積極的に推し進めないのだろう。 その基本的理由は、「ウェブが敵か味方か」に関する基本的認識にあると考えざるをえない。現在の日本の新聞は、「止むを得ずウェブに対応する」という姿勢であり、それを積極的に活用するという姿勢ではない。それこそが、問題だ。
ウェブでのビジネスモデルを 確立する必要がある 「これからは知識の時代だ」と言う人がいる。その社会では、知恵や情報の価値が増すと言う。確かにそのとおりだ。しかし、そのことと、「知識や情報が商品価値を持つかどうか」とは、別問題である。「社会的に重要であっても商品価値を持たない」ということは、十分ありうるのだ。 そのことをきわめて破壊的な形で示したのが、百科事典『ブリタニカ』だ。200年を超える歴史を持ち、「知の宝庫」と呼ばれた質の高さを誇っていた百科事典が、マイクロソフトが1993年に発売したCD-ROM百科事典『エンカルタ』にあっという間に敗れてしまった。ブリタニカの事業はわずか5年間で行き詰まってしまった。その後、有料の会員制でウェブサイトを運営する試みを行なったり、ウェブで有料のコンテンツを売ろうという試みを行なったが、成功しなかった。 技術が急速に変化する世界では、新しいビジネスモデルを創造できずに無残に敗退した例は、ブリタニカ以外にも数多くある。実際、ブリタニカを倒したエンカルタでさえ、長く続くことはできなかった。いまウェブでは、ウィキペディアのような百科事典が広く利用されているし、そもそもウェブ全体がある種の百科事典として機能している。 もっとも、いまでも、書籍形態の百科事典に頼ることはある。たとえば、生物図鑑としての利用、歴史上の事項を調べるとき、数学の公式を見たい場合などである。だから、書籍形態の百科事典にまったく利用価値がなくなったわけではない。しかし、技術的な側面で、書籍形態の百科事典が不利な条件を抱えているのは、否定し得ないことである。それは、クロスレファレンスが面倒なことだ。百科事典ではクロスレファレンスすることが多いのだが、書籍形態の百科事典は大判なので、すぐに机の上が一杯になってしまう。それに、重いので、扱いが面倒だ。こうした事情を考えると、紙の百科事典が生き延びるのは、大変難しいと考えざるを得ない。 しかし、メディアの場合には、百科事典とは違う事情がある。先に述べたように、ウェブとの関係で新しいメディアとなりうるからだ。ただし、その運営が何らかの形で収益に結びつくようなビジネスモデルを確立することが必要だ。そうでなければ、長期的に運営することができない。 もちろん、それはけっして簡単な課題ではない。ウェブ上の情報提供に関する新しいビジネスモデルは、まだ誰も確立していないと言うべきだろう。ニューヨーク・タイムズでさえ確立したわけではない。実際、こうした記事にあるように同社の株価は下がっている。日本の大新聞は上場企業ではないので、市場の圧力からも乖離されているから、危機意識が薄いのだろう。 しかも、日本のマスメディアは都心に不動産を保有しているので、いまや不動産収入で利益を確保し、メディア事業は余技として行なっているとさえ言われる。しかし、これではあまりに情けない。 最低限、実験的な試みがなされてもよいはずだ。新しい試みが「あらたにす」だけだというのは、発想の貧困さの証拠であるように思えてならない。